最期の時間
諦めない動物医療と銘打って仕事をしていると
絶対に諦めたらいけないと
思わないといけない、みたいな感じになってしまって
それが時にただの個人のエゴなんじゃないか、と思う時もあります。
院内死亡率ゼロという目標は
救急疾患で駆け込まれた患者さんを可能な限り助けてあげたい
1%でも救命率を上げたいという意味もありますが
同時に、最期の時間は動物病院じゃなくて自宅で過ごしてほしいという意味もあります。
最期の数分とか30分とか1時間を
家族と一緒に安心できる場所で過ごすこと
そこに本当に意味なんてあるのかどうかは
犬猫さん達に聞いてみないとわかんないですし
人間にも
病院で最期を迎えたい派の人と
最期は自宅に戻りたい派の人がいると思うので、一概には言えないと思います。
でも、僕は最期の時間は家族と一緒にお家で
というのが理想だと考えて日々仕事をしています。
上記の
諦めないということと
最期の時間はお家で過ごしてほしい、ということには
やや矛盾を孕んでいるんじゃないかな、と自分で言ってて思います。
諦めないということが、最期まで病院で医療を施すことを指すとすれば
自宅での最期を迎えることを理想とすることは
なかなかできない場面にも遭遇してしまいます。
今日の朝方も僕は一人で悩みながら猫さんと一緒にいました。
治療反応が徐々に乏しくなるのが見えてくる中で
最終的にご家族の元で最期を過ごしていただくという判断を取りました。
それが良かったのかどうかはわかりません。
先ほどその猫さんのご家族様よりお手紙をいただきました。
本当にその猫さんのことをご家族皆様が大事にされていたんだな
ということがすごく伝わるものでした。
助けてあげることができなくて本当に申し訳ありませんでした。
やっぱりどうにか助けてあげたかったな、という思いが強いです。
精進いたします。