悪の陳腐さ
ナチスドイツのシステム構築と運営に主導的な役割を果たしたアドルフ・アイヒマンは
1960年にエルサレムで裁判を受け、処刑されました。
この時、連行されたアイヒマンの風貌を見て関係者は大きなショックを受けたそうです。
それは、あまりにも彼の風貌が『普通の人』だったからです。
その裁判を傍聴していた哲学者のハンナ・アーレントは、その模様を本にまとめ
その本の副題を『悪の陳腐さについての報告』とつけています。
悪というものは善と対をなす概念であり
正の要素が一定以上になったものを善と表現するのであれば
悪というものは負の要素に振り切れた存在なわけです。
それをアーレントは『陳腐さ』という言葉で表現しています。
陳腐という言葉は、ありふれてつまらないことを意味します。
最も発生頻度の多いありふれたものに対する言葉なわけですね。
つまりこの悪の陳腐さという表現は、やや矛盾を孕んだ表現になるわけです。
『悪』という言葉は、どこか普通ではない特別なもの
という意味と認識してしまいがちなわけですが
実際に蓋を開けてみれば、そんなことはなく
世界を震撼させるような最大級の悪であろうと
システムを無批判に受け入れた結果、もとらされたものである、とアーレントは結論付けています。
表現が下手くそすぎて、上手く伝わらないですかね笑
僕たちの世界は、通常は所存のシステムに則って日常生活を営んでおり
その中で仕事をしたり遊んだりしているわけですが
ほとんどの人はシステムのもつ危険性について批判的な態度は持ってはいるものの
少し距離を置いてシステムそのものを眺めるといった行動までは取らないんですね。
なぜなら、現行のシステムがもたらす悪弊に思いを至らすよりも
システムのルールを見抜いてその中で、うまくやる、ことについて考えてしまうからです。
でも、過去の歴史を振り返った時に
その時代の支配的システムがより良いシステムに置き換わることで
世界はより進化してきたという側面があるわけです。
それなら、現行システムを所存のものとせずに
そのシステム自体をもっと良いものに変えていこうと
思考も行動も集中させるような生き方の方が、良い生き方なのかもしれません。
ハンナ・アーレントの提唱した『悪の陳腐さ』は
600万人の虐殺計画という人類史上類を見ない悪事は
思考を停止し、ただシステムに乗っかって
ただただ効率良く目の前の業務をこなすことだけに執心した小役人によって引き起こされたと、論じています。
凡庸な人間こそが、極め付けは悪となりうるわけです。
自分で考えることを放棄してしまった人間は
誰でもアイヒマンのような存在になってしまう可能性があるわけです。
人間誰しもアイヒマンになるかもよ?なんて表現すると
やや極端な論評かもしれません。
ですが、目の前で繰り広げられているシステムに対し
全く疑問を持たず、ただただ受け入れているだけという状況は
自分の気づかないうちに、ものすごい悪事を働いているということもあり得るわけですね。
このアーレントの話を聞いて
実際に病院の中で何をしているかは不透明なことの多い
動物医療にも当てはまる場面・状況というものが多々存在するのだろうな、と思った次第であります。
現在の統計的データによれば
飲む必要もない薬を、必要ですよと嘘をついて薬を処方し続ける。
必要のない手術を執拗に勧める。
過去の動物病院経営のために当たり前のように行われてきた行為・システムが
動物やご家族にとって、悪となっている場面もあるように感じます。
そういった悪質な医療行為がどんどん淘汰されていく世の中になればいいんですけどね。
それでは、今日はこのへんで失礼いたします。